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<霜田静志 略歴>

1890(明治23)年7月9日埼玉県に生まれ、東京美術師範学校を卒業し、教職、療養生活、再就職の後、1921(大正10)年、沢柳政太郎によって創立され、大正時代の新教育をリードした私立校の成城中学校へ就職し、美術教育の先駆的実践に取り組む。
その在職中にイギリスの教育家ニイルを知り、自由教育と精神分析の研究に専念する。戦後は長く多摩美術大学教授を務め、また井荻児童研究所においては、臨床と結びついた理論研究と啓豪活動に生涯を捧げた。その業績は美術教育、白由教育、臨床心理学、の三分野に分けられるが、とりわけ心理学研究は児童分析、カウンセリング、性格分析、通信分析、集団分析など多岐にわたり、また先駆的でユニークなものが多い。その長年の精力的研究人生に一貫していたテーマは「子どもの自由と解放」(『芸術と生活と教育と』1968)である。自由という言葉がタブーであった戦争中も、彼は「叱らぬ教育」という言葉で、自らの思想と技法を語り続けた。


<主な著作・翻訳>※一部絶版のものもあります

著作:
『叱らぬ教育の実践』『叱らぬ生活と教育』
『児童の精神分析』以上、黎明書房。
『ニイルの思想と教育』金子書房。
『自己分析を語る』
(共著=國分康孝・米山正信・他)誠信書房。
翻訳:

A.S.ニイル『ニイル著作集1〜10』
(一部共訳=堀真一郎)黎明書房。

同『人間育成の基礎』
同『自由のともしび』
『ニイルのおばかさん』(共訳=堀真一郎)、
K.ホルナイ『白己分析』(共訳=國分康孝)
以上、誠信書房。


その他、教育・心理・美術関係図書多数。

<霜田静志と『愛育』>

1928年

5月、国際美術教育会議に日本代表として出席。この折、サマーヒル学園にニイルを訪ねる。

1933

自宅で「子供の家」創設。

1936

『母のペ一ジ』を創刊。

1938

「井荻子供の家・児童研究所」と改称、その中に「母性日本協会」を発足。『母のページ』を『母性日本』と改題。また「主婦の友社」に迎えられ、“母の教育相談”を担当。

1946年

ガリ版刷りによる『草風私信第l号』を発行。

1948年

『草風私信』を『オールPTA新聞』に名称変更し、外部より発刊。

1949年

11月『オールPTA新聞』を再び白宅に引き取り『愛育通信11号』とし、12月『愛育通信12号』を<第1号>と修正して発刊。

1950年

『愛育通信』5月号よりB6判小冊子となる。

1954年

『愛育通信』を『愛育心理』に改題。

1963年

『愛育心理』終刊、『愛育心理研究』を年3同発行。

1968年

『愛育心理研究』15号にて終刊。

1973年 『草風私信12号』発行。
その中の<父の思い出>が絶筆となる。
1973年 1月28日、白宅にて死去。
【霜田の三男・田島義雄氏作成資料より】
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